筆者(英文): Ponte Ryuurui (品天龍涙)
翻訳者: Yuki Anada

書道 は、プライドや目標、競争心といったものなくても栄えるものである。書道は、世俗的なものを否定し、非現実的なものを賞賛することで上達する。自分のやってきたことが報われる時は、とても気分がいいものだ。ただし、我々は、目的を捻じ曲げるようなことからは、ある程度の距離を保たなくてはいけない。そうでなければ、道はぼんやりとかすんでいき、自らを失うことになる。
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写真1:グループ学習は、他の書道家の作品を賞賛することと同じくらい重要なことだ。技術を向上させるためには欠かせないことである。
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写真2:優れた先生というのは、指導するというよりもむしろ、我々を導いてくださる。また、我々門下とともに、また、時には我々から学ぶ。
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写真3:「嵯峨天皇宸翰唐李嶠詩集」の一節。各ページに、解説・注釈が糊付けしてある。
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写真4:特定の名作を詳細に理解することは重要なことである。誤りを繰り返すと、勉強が前に進まない。写真は、越舟先生が嵯峨天皇の詩集の一つを詳しく説明しているところである。

書という生き方を選んだ我々にとって、生涯、書を学ぶことは、師範となって世に認められるためのものではなく、むしろ、古来の原理と調和することによって、芸術的価値を持った人になることである。書は、我々の美学的意識を高め、さらに上へと導いてくれる。

偉大な思想家、老子(紀元前6世紀)は、かつてこう述べた。「知りて知らずとするは尚なり。知らずして知れりとするは病なり」我々は、自分が知っていると思い込んでいるすべてのことを忘れて、未知なるものに没頭するよう努力しなければならない。継続することのない、かつ、こだわりのない情熱は無意味である。それは、さらに先を目指すという意志なしに知識を追い求めるようなものだからだ。誰も、(他人に言われて)無理に勉強をすることはできず、心から目的を持たなくてはならない。私にとって、書は、趣味でも私自身の生き方でもない。書なくしては呼吸することすらできない、空気のようなものである。書を知らない人にとっては、書にはそれほどの価値はなく、白紙の上に描かれた、単なる数画の文字としか思わないだろう。しかし、それらの筆跡の裏には、壮大な世界が広がっているのだ。

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写真5:古代の書道家たちは、しばしば瞑想し、他の師範の作品を味わう。このように伝統は生き続ける。
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写真6:60年にわたって筆を動かし続けた人の手の動きは、何千ものことを物語る。
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動画:梶田越舟先生(1938年~)による、臨書。清朝(1644~1912年)の書道家、呉大澂(1835 ~1902年)の作品から、四文字を篆書にて。

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写真7:どんな書道家にとっても、臨書を繰り返すことは、書の基礎を築く上で大切なことである。これは、書を極めるための唯一の方法である。

書を学ぶには、様々な方法がある。もっとも重要なことの一つに、古典を研究し、学術的に分析をすることが挙げられる。臨書を始める前ですら、何を学ぶべきかを把握しなくてはならない。私の先生(梶田越舟先生)が主催する古典研究会の目的はまさに、我々の未知なる事柄を理解させ、そういった知識がなければ、既知の事柄を真に理解することはできないということを把握することにある。先生は、我々の会合を「聿玩会(いつがんかい)」と呼んでいる。聿玩会は、2週間に一度、偉大な書道家たちが残した名作に対する知識を深めることに興味のある人のために開催されている。ご自宅にある多大な書籍の中から、先生は毎回古い本を持って来て我々に提示し、説明をして下さる。時には、我々が追い求めるべき課題や、研究すべき事柄を提示して下さる。

聿玩会は、大学生が果てのない海を航海するときに教授が手を差し伸べるような、大学の授業にとても似ている。我々は、出版された書籍や辞書などの誤りや不備、また、学者たちの誤解、誤植などを話し合う。石碑が損傷しているために、本に掲載された拓本には、文字が欠如していることがあるのだが、時に我々は、欠如した文字といった、判断が難しい分野をも議論することがある。石碑のようなものの代表的な例として、石鼓文がある。

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写真8:篆書で書くときの原則の一つは、紙に対して筆の先を垂直に保つことである。写真7も同様である。写真7は、吳大澂(1835~1902年)の作品を臨書しているところである。
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写真9:篆書は、特に私が好きな書体である。複雑で、粋で、実際にはほとんど使用されていないが、純粋ないにしえゆえに、魅力的である。
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写真10:勉強用の本に解釈や注釈を加えることはとても有益である。書は、様々な文献などを参照しながら勉強すると、書の上達の妨げになり得る誤りをなくすか、少なくとも減らすことができる。

最近の会合では、嵯峨天皇(786~842年、第52代天皇)の「嵯峨天皇宸翰唐李嶠詩集(さがてんのうしんかんとうりきょうししゅう)」に書かれたある三つの文字について、1時間にも及び話し合いがなされた。嵯峨天皇は、平安時代(794~1185年)の「三筆」と言われる偉人の一人である。写真4の、解説・注釈つきの本を見ると、書道家が2世代以上にもわたり、研究を目的にこの本を使っていたことがわかる。

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写真11:梶田越舟先生の書かれた作品は、各勉強会の最後に、皆で共有する。私は先生の作品を真似るのではなく、むしろ、元々の作品を、先生がいかに解釈したかを理解するために見る。

会合は一回ごとに、または数回にわたり、ある一つの古典の研究に費やされる。2011年度は、ほぼ1年にわたり、晋朝(265~420年)の王羲之(303~361年)の草書の研究に充てられた。王羲之の書簡の臨書について、練習・議論するのに、7~8か月ほどかかった。その過程で、梶田越舟先生は、勉強に役立つ説明書を常に持ってきて下さったため、王羲之の人生の様々なことを学ぶことができた。

写真から、吳大澂(1835~1902年)の小篆を勉強しているのがおわかりだろう。吳大澂は、清朝(1644~1912年)の著名な金石学者兼書画家である。私の先生は、常に我々と共に筆を動かし、教室の中を歩いて回って、他の人の筆で一緒に書くことが好きである。さて、ここで、我々の会合の名前の由来をおわかりいただけたことと思う。文房四宝のみに慣れてしまうのは重大な誤りである。できるだけ多くの筆や、墨、紙、硯を使ってみる必要がある。組み合わせは無数にあり、それゆえ、成果も無限大である。

ところで、写真から、読者の皆さんには、私の親しい友人は、私の2倍近い年齢の方々だということがおわかりいただけるだろう。実際、日本には、年の近い知り合いがあまりいない。一般的に、伝統的な事柄に敬意を表したり、興味を持ったりすることもなければ、心休まる静かな生活よりも、せわしくて虚しい生活を好む。

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写真12:同一の、もしくは同様の作品を、他の書道家のものと比べることはとても重要だ。これによって、啓発され、腕の向上にもつながる。

若い人にとって、古典的な価値を拒絶し、モノにこだわって、いわゆる「出世コース」を歩むことが必要なことなのだろうか。私はそうは思わない。深みのない人生は、奥深くても生命を伴わないようなものであり、それはあたかも、先が見えず、息をするための酸素がない死んだ海や、無意味な記憶の毒づいたゴミのようだ。私が思っていた以上に、上の世代の人々には忍耐力があり、エゴがなく、知識はより深い。そして何より大切なのは、上の世代の人々は、書という芸術や、現代の心の通わないサイバー世界が世の中を支配するのを妨げている古代の知恵が、息の根を止めないようにしていることである。

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写真13:コミュニティホールの掲示板に貼られた我々の古典研究会の広告。一つ付け加えさせていただくと、私はこれからキャンプに行くのではない。私が背負っているバックパックは、午前中の勉強会の後だったため、書の作品や書籍でいっぱいである。このあと、私は先生と別の会合に行くところである。