今からおよそ400年前の1615年(元和年間)、初代藤野雲平が京都において筆工を営んだことに始まります。その頃、禁裏御所の御用達を賜り、書道家元の有栖川宮家にはしばしば筆をお納めする。また正徳年間、五世雲平の時、近衛予楽院家煕公より「攀 桂堂 (はんけいどう)」の屋号を賜る。明治20年、十二世雲平の時には、有栖川熾仁(たるひと)親王殿下より、長さ二尺九寸、差し渡し三寸八分、筆行七寸八分の図を自らお示し遊ばされ、「純山馬毫にてそのような筆を制せよ」との特別注文を仰せ賜り、その節、「遠祖の流れを今に書き伝う筆はふじのにかぎりけるかな」の歌を賜る。
明治42年、十三世雲平は東京に攀 桂堂 を移し、松方正義(まつかたまさよし)翁、大倉喜八郎翁、書家の比田井天来・小琴ご夫婦、岡山高陰(おかやまたかかげ)などの諸先生方に筆のご用を賜る。大正12年の関東大震災で被災し、現在の地に転居。先代雲平は、昭和41年に滋賀県無形文化財の認定をうけ、昭和49年に労働大臣賞を受賞。
昭和五十年には昭和天皇皇后両陛下に製筆の技術台覧の栄を賜る。さらに昭和五十四年、宮内庁のご依頼をうけ天平勝宝四年大仏開眼供養に用いた「天平筆」模造品を奈良正倉院にお納めする。平成七年には、皇太子雅子両殿下に技術の台覧を賜るとともに、NHK総合テレビ番組『手仕事日本』で雲平筆の巻筆技術が全国に紹介される。
平成21年1月「皇室アルバム」で有栖川流書道の用筆として紹介される。
当筆の種類としては、「天平筆(雀頭筆)」「筆龍籐巻筆」「弘法大師流筆」「藤原定家卿筆」「上代様筆」「光悦筆」「道風朝臣用筆」などがあります。これらは中国唐時代に淵源をもつ「巻筆」と呼ばれるもので、紙を腰に巻く伝統技術であり、私たちはこれを現代に伝えています。また、現在広く使われている「水筆」「捌筆」などもご注文に応じて作っております。羊毛、狸、鼬、馬などの毛を材料に、皆様方に喜んで戴ける手作り筆に精魂込めております。
Beyond Calligraphyより一言
攀桂堂の歴史は長く奥深く、そして、伝統を受け継いだ職人芸は、並外れたものです。Beyond Calligraphyの共同設立者として、また、これを代表して、英語での初の試みとして、「攀桂堂」の伝統を世界中の読者の皆様と共有できることを、誠に光栄に思うとともに、NHKが国内で攀桂堂を広めたように、我々も世界中に広めることができたらと思っております。また、執筆にあたって、日本語での記事の提供を快諾し、とても興味深いお写真を提供してくださった藤野純一さん(十五世雲平のご子息)に、心から感謝申し上げます。
パート2では、巻筆がどのように作られるのか、また、どのような特徴があるのかについて、述べていきたいと思います。